「ケンメリ」日産スカイライン、わたしの車人生をふり返る【寄稿】

今回は車人生の先輩に寄稿をいただきました。原文のまま掲載します。
時代のニーズに合わせて人生と車のあり方にも大きな変化があり、車は移動手段の1つとなりつつあります。

昭和を謳歌した先輩たちは自動車とは自分のプライドであったり、生き方そのものの時代もありました。
今でも同様に車に情熱を感じている方もいますし、エニカ(anyca)という個人間のカーシェアリングではそれを彷彿させるITでの力も感じます。

早速ですが、寄稿いただいた先輩の車人生に耳を傾けたいと思います。

 

 

ガラス棒を握るようにでは、変速できないシフトレバー

 

学生時代に、春休みを利用しての「特別最短免許取得コース」で、普通車の免許を取りました。当時は、オートマチック車が、ようやく世の中に出始めた頃で、戦後のベビーラッシュに生まれた昭和世代にとっては、車と言えば、クラッチとシフトレバーをうまくコントロールして、エンジンのパワーを車輪に伝え、変速するのが普通でした。

 

その中でも、坂道に停車した状態からスタートする「坂道発進」なる運転技術は、かなり高度な技術でした。そのため、実技試験で落とされる対象となる項目の最たる内容でもありました。自動車学校の教官からは、シフトレバーを動かす度に、「もっと柔らかく」「ガラスの棒を握っているように」と、できるだけスムーズな変速を行うよう指導されたものです。

 

やがて就職し、赤いトヨタカローラ、それも2ドアクーペの中古車を購入したのが、我が車人生の始まりです。

職場の先輩の紹介で、個人経営の車の修理工場から購入した車で、結構、走っていたようです。度々、故障するもので、1981年の夏に、ボーナスを頭金に、若者に絶対的な人気を誇っていた通称「ケンメリ」日産スカイラインのショールームを訪ね、CMにポールニューマンが出演したことから「ニューマン・スカイライン」と呼ばれた、スカイラインジャパンを購入しました。

 

スカイラインは、「ハコスカ」時代からの義兄の愛用車で、家内も大好きだったので、文句なく資金も出してくれました。色は、汚れが目立たないようにと白を選びました。

自動車学校で、口うるさく言われたシフトレバーですが、当時の車の多くが、レバーはハンドル部分に設置されていたのに対して、スカイラインのレバーは、運転席と助手席との間の床に設置されていました。しかも、他のメーカーの車や他の日産の車種とも違って、レバーが短かいのです。

その上、レ-シング仕様のように、1速、2速と、確実にノッチにレバーが入るように造られていて、とてもとても「ガラス棒を握っているように」とは、いきませんでした。しかし、出足抜群、青信号でのスタートダッシュでは、さすがに大型排気量の二輪車には負けますが、全戦全勝でした。

 

この頃、スカイラインの特徴である後部のボディーラインにぶつけられる事故にあいました。全面相手の過失で、修理代約12万を持参した小さな印刷所勤務の相手が「会社の保険が切れていまして、自分のボーナスです」と言われたときには、気の毒で減額も頭をよぎりましたが、父の「非情だが、明日は、立場が逆転するかもしれん。運転上、これは義務。」の一言で、受け取りました。

 

1989年の「超感覚スカイライン」の紺色を購入して、スカイラインとはお別れします。

 

 

日産車からトヨタ車に乗り換えて、気付いたこと、感じたこと

 

1989年購入の超感覚スカイラインも長く乗っているうち、新型車が発表になる度に、どことなく車自体が古くなっていくような気がしてきました。事実、街中を走っていても、同型のスカイラインを見ることが少なくなっていきました。特に、日本車は、ほぼ毎年、マイナーチェンジを行うので、年を追う毎に、古さが際立ってくるような気がします。

このことが、後に、ドイツ車を購入する一要因にもなりました。
そこで、歳も若者から中年へと代わりつつあることで、いつまでも、青信号の度毎に、スタートダッシュの競い合いをくり返している場合でもなかろうと思い始めました。さらには、入院加療のために桜井真眞一郎氏が、新型車の開発チームから退いたことが原因ではないでしょうが、スカイラインのイメージが変わってきました。

事故の際にも多額の修理代となった、サイドのボディーラインが、あまり意識されていない点や、リアの独特の丸型テールランプが、はっきりしなくなってしまった点など、何もスカイラインに、拘泥する必要はないような気がしてきました。

そこで、思い切って日産車からトヨタ車へ乗り換えることにしました。かといって、カローラに乗るくらいだったら、車を降りてもいいという強い意識で、車を選びました。「スカイラインからカローラへの乗り換えはないやろう」というのが、当時の心境でした。かといって、「いつかはクラウウン」のクラウンを購入するほどの経済力はありませんでした。

 

色々検討している折に、販売員から、米国からの逆輸入の形で販売されるセリカ・カムリの新型で5ナンバーなのに3ナンバー規格のカムリを勧められました。デザイン、内装、排気量と全体がよくまとまっており、何よりまだ、乗っている人が少ないというのが、引き金になり、1994年の暮れに、クリーム色のカムリを購入しました。

スカイラインと違って、青信号でのダッシュもなく、おとなしく走るだけの車です。ダッシュボードも、何の特徴もなく、ハンドルも皮が使われているでもなく、すでにオートマチックの時代でしたから、シフトノブも前後に動くものに変わっていました。この車は長く乗りましたが、やはり、次々にガタがきて、2001年の暮れに、同じように米国仕様の逆輸入車であるウインダム(当時、レクサスの米国名)に乗り換え、私の車人生も家内の「これで最後よ」の言葉と共に、終演を迎えるかと思っていました。

 

日産からトヨタに乗り換えて気付いたのは、フロアーマットの下の部分など、隠れた部分の塗装や溶接、細部の処理などが、日産は結構、雑なところがあるのに対して、トヨタは、細部まで丁寧な仕事をしていることでした。

ただし、出足の速度など、走りについては、俄然、日産に軍配があがります。トヨタは、堅実に走るだけで面白みが感じられません。しかし、車の完成度には、優れたものがあります。

 

ついに、走る楽しさを満喫できるあこがれの車をゲット

ウインダムで、次々に車を乗り換えていった我が車人生も終演を迎えるのかと思い、最後の車であるウインダムは、大事に、大事に乗っていました。この車は、出足もそれなりで、結構馬力もあるし、何より広い室内をもっていたので、ゆったりと余裕をもって乗ることができました。

さらに、この車もマイナーチェンジはするものの、大きく目立つた変更はなく、よほどのマニアでしか気付かないようなささいな部分の変更やエンジン部分の変更など、他車のように、型の遅れが目立つような変更を行わないので、何年でも乗れそうな気がしていました。

しかし、所詮、車もある種の機械ですから、当然のように部品レベルでの摩耗や消耗を生じるようになり、販売店に持ち込むことが、多くなりました。そうした些細な故障や修理をくり返している内に、ショッキングなことが、起こりました。米国で展開している車の生産販売の都合上、ウインダムは国内販売のレクサスと統合してしまい、生産は中止するというのです。つまりは、部品の供給も在庫限りという方向に進むことがはっきりしてきて、どうにかしなければならないようになりました。いずれにせよウインダムを諦める他、手立てはないわけですが、かといってレクサスの購入は、難しいという困った状況になりました。

 

そこで、年齢も年齢なので、今までのように、何年かごとに、車を買い換える時代は、終わった。今度は、買い換えなくてすむような車を購入しようと考えた時、型の大きく変わらない欧米の車、出来れば欧州車で物色しました。国産車に比べるとさすがに価格は、高めになります。でも、一度購入すれば、買い換えることは、まずないので、長い目で見れば、決して高い買い物では、ありません。それよりも何よりも、欧州車に乗っている限り、事故っても、死ぬことはありません。そう考えてみると、意外と安い買い物かもしれません。

そんなことを思いながら物色している時に、たまたま立ち寄ったショールームでひょんなことからBMWの318iに出会い2007年の夏、ついに、あこがれだったアルピンホワイトのBMWを手に入れました。内装は、黒のレザーに、ウォールナットのパネルにしました。好みに応じて内装も自由に変えられます。ドイツ車は、トヨタ車にも増して、細部にわたって実に丁寧に溶接され、塗装されています。国産車とは、ドアの重さが全く違います。ドスンという重たい音で閉まりますし、開けるときには、力を入れないと軽々とは、開きません。パネルにある回して使うスイッチ類もすーっと回るのではなく、カチッ、カチッとノッチを刻むようになっていて、確実にヒットするよう工夫されています。シートも堅めで長距離ドライブで疲れないよう配慮されています。なのに、加速性やコーナリングの安定性は抜群で、140、160キロくらいはすぐに出ますし、安定しています。いい車です。

そして、現在は、2007年の暮れに購入した、サフアイヤブラックの320iに、同じ黒のレザ-シート、ウォールナット内装のシフトレバーはメタリックというBMWで、青信号一番のスタートダッシユを楽しんでいます。

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