今回は車を自分の人生と重ね合わせる昭和時代の車たちについて寄稿していただきました。現代の若者は車を買わない、車に興味がないと聞いて久しいです。
昭和の時代は車は人生の一部であり、プライドであったり、人生の伴侶として大きな存在でした。

 

ココ最近の車は移動手段であったり、便利な荷物運びの台車かもしれません。
しかしながらエニカ(anyca)の様なアプリが本当の車好きとのコミュニケーションを取る手段となっているのも面白いことです。

早速ですが寄稿いただいた先輩のお話を聞いてみたいと思います。

 

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(1)運転免許を取得して帰郷するまでの間の経緯

私の場合、高校卒業後に当時は普通自動車運転免許を取得をしたような形でした。そして、家族を含めて当時家族から強く勧められた自衛隊入隊へ仕方なく応じ、高校卒業後の89年の5月末に陸上自衛隊へ入隊をして、大分県へ移転してそこで約2年間を過ごす事になります。

 

そして任期満了(2年間)で退職をする事になりますが、それまでの間は臨時で自衛隊の一部の車両を運転したりする時以外は、車の運転をしたりするような事はほとんどありませんでした。

 

 

91年5月末日の退職後に、私は故郷である鹿児島県の曽於市へ帰郷をして、地元の電子部品工場のK社で働く事になります。そこで初めて、通退勤のために家とK社とを行き来するために、本格的に自分の名義の車を購入しつつ所有して運転をしながら、今まではと違う職場環境で過ごす事になります。

 

 

そして入社をして働きましたが、実はそこは当時でもやはり評判が良くない、人の出入りが頻繁な、いわゆるとんでもないブラック企業でした。当時の私はそれを知らずに、自衛隊除隊後そこで約2年間働いていましたので、今、自分でも当時の記憶を振り返ると、とても後悔をしています。

 

 

 

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(2)最初に購入をしたダイハツ社製の中古車の「ミラ」

さて、そうしたブラック企業である当時のK社との通退勤に利用していた、中古車で購入をした当時の「ミラ」について、今から話していきます。

 

当時の私は、両親とともに知人であり私の男子同級生の親である方が運営をしていた、スズキ系の車両整備工場へ行き、そこで以前から興味があったダイハツ社製の中古車のミラを見つけて、購入をする事に決めました。
中学時代にプラモデルなどを作ったりしていましたので、そうした思い出からこのミラには思い入れがありましたので、当時は購入する事を決めた記憶がある程度、現在もあります。

 

 

そうした感じで同車両本体を購入して、私はしばらくの間それを通退勤時での交通手段として利用していく形になりますが、実際に運転をしてみて、当時の本格的に運転開始後の間もない私でも分かる異常な感覚を、私は感じるようになります。

 

 

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(3)運転時のハンドル操作時での異常な感覚

K社で働き始めてから約半年後、朝8時から夜中の12時あるいは1時までといった、過剰な会社側が酷使をするオーバーワークの日々が、土日返上で続いていくような当時の様子でした。そうした過酷な労働環境の中で、通退勤の際に頻繁に私の運転をしていたミラが、ハンドルさばきの際の不具合やエンジントラブル(エンスト等)を頻繁に起こすようになりました。

 

そして、車に詳しい職場の先輩社員の方に度々お世話になる始末でもありましたので、その度に申し訳ない気持ちに当時の私はありました。

 

 

このような事情から、私は仕事場の配置転換なども、たまたまあった事もあって、もっと性能が良くて馬力のあるマイカーに切り替えた方が良いと判断をして、また両親の知人である整備工場へ出向き、車探しや相談などをしました。
そしてたまたま、そこの整備工場の展示場にあったTOYOTA社製である、セダンタイプの仕様であるカローラの中古車が目に付きましたので、購入する事に決めました。

 

(4)短い8ヶ月間の、このミラを運転をしてきた感想

結果として私は、K社入社後の約8ヶ月後に、この運転をしてきたミラを手放して、普通乗用車であるカローラのコロナタイプ(1987年式)を購入してそれを今度は運転していく形になりました。しかし本当にそれまでのミラはトラブルが多い車両でしたので、手放す事に関してはあまり心残りなどはありませんでした。

 

 

やはり、通勤途中でハンドルが急に切れなくなって、もう少しで運転事故に遭いそうになったり、エンジン不調で退勤時に掛からなくなってそのため、職場の方に度々助けてもらったり、等々、トラブルが実に当時は絶えませんでしたので、そうした当時の様子から、手放す事自体には未練は正直、あまりありませんでした。

 

 

 

 

そして今度は中古車で購入をしたカローラを、約5年間運転をしていく形になりますが、今度は窓ガラスなどもオートの開閉仕様であり、AT(オートマチック)仕様でしたので、運転時がとても見違える程に楽でした。

 

 

 

 

 

(5)買い替えの決断をした、当時の私の様子

今話した通り、当時のミラ自体が非常にトラブルが多かったので、整備工場でカローラを見掛けた途端にほぼ、即断だったような記憶があります。

勤務時だけでは無くて、プライベート時でも友人達とのドライブの際でもやはり、運転の途中で停まったりしてしまうトラブルがありましたので、そうした点からも日常的に安心が出来ないような状況だった事には、間違いがありません。

 

そのような本当に当時の悩みの種の一部であった事もあって、このミラ自体には本当に困りものでしたが、一方、疎ましいあるいは憎々しいような思いなどはありませんでした。

 

 

 

トラブルなどは数々あったりしたものの、この車両があったおかげで、K社入社時からの通退勤を無事にしていく事なども可能でしたので、そのおかげで不自由などはあまりしませんでした。

 

そして、エンストなどはあったりはしたものの、友人達とのプライベート上でのひとときを過ごしたり出来ましたので、そうした点では十分貢献をしてくれた車両だったと、当時を私は振り返ります。

 

 

 

 

 

 

 

2番目に約5年間運転をした、中古車のカローラの仕様

(6)92年1月下旬に購入をした当時の記憶

先にも話したように、この両親の知人の方が経営している整備工場でミラに変わって買い換えたカローラは、本当に私の日常的行動を助けてくれた車両です。今まで運転をしてきた車の中でも、一番の思い入れのある車両本体でもあります。
この事に関しては後の(8)の小節のところで触れますが、本当に頼りになる車両でした。

 

 

当時、鹿児島市内に居た私の姉の引っ越しの際の手伝いで、このカローラは引っ越し業者へ運搬を当時は依頼しきれなかった物品運びなどの際に、とても役に立った記憶があります。

組み立て式の仕様のべッド類や、その他当時の引っ越し専門業者には運搬が禁止をされていたりした貴重品類の運搬の際に、この当時のカローラは大変役に立ちましたので、利用価値は大いにありました。
そして親戚中で遠出をしたりした際に、私は幾人かの親族の方々を乗せてドライブなどをして楽しいひとときを過ごしたり出来ましたので、そうした面でも大変活躍をしてくれたりしました。

 

 

 

 

このように、当時運転をしていたカローラにはとても良い思い出がありますので、その分他の各車両よりも、その思い入れがあります。

 

 

 

 

(7)初めてのオートマチック(AT)車という機能

なんといっても今まで運転をしてきた車両の中でも、その一番の特徴としては、このカローラ自体がAT式仕様の車両であった事です。
今まで以前の4MT仕様でトラブル続きだったミラを運転してきましたので、このカローラの購入を決断したのは、当時はやはり正解でした。

 

 

そして、ミラの時よりも割と長距離での運転が楽に可能であった点から、生まれて初めて宮崎自動車道などのような高速道路を最初に運転をした車両も、この車でした。

 

 

高速道路走行時でも2ギアより上は切り換えが必要ありませんでしたので、ギア操作面では本当に楽でした。その上、車のクッション性自体も大変優れていましたので、長距離運転には持って来いの車両でした。

 

 

 

 

 

 

(8)特に思い入れの記憶がある車両

今まで話したように、先のミラとは大きな違いがあったせいもあり、それだけにこの車の思い入れは何度も私は言うように、特に強い面があります。

 

車内の広さなどもとてもあり、遠出の際も余裕で後部座席シートを倒して休んだり、あるいは台風その他の災害などで道路走行などが困難になったりした場合に、ある程度の食糧などがあれば一晩を明かしたりして待機出来る等々、本当に利便性が豊かな仕様になっていました。

 

そうした使い勝手や性能なども大変申し分が無い車両でしたが、やはり、幾らこうした優秀なTOYOTA社製の車ではあっても、その車体そのものの老朽化の課題がありました。そして、車検時でも車体内の電気系統などがもう時代に対応をしている仕様ではないとの事でしたので、そうした事情もあって、このカローラを整備工場へ引き渡したような形でした。

 

本当に様々なシーンで活躍をしてくれた、中古のカローラであっただけに、引き渡し時には正直、私はとても寂しさを感じ入った記憶が今も鮮明にあります。

 

 

 

 

 

 

(9)旧車体ながらも長期利用出来た性能の良さから得たもの

これは先にも話しましたが、私が高速道路を生まれて初めて運転をした車両が、まさにこのカローラでした。そして自分が、高速道路での路上運転が出来るようになったり、長距離運転が可能になったのも、この車両のおかげでした。
そうしたそれらの面で、得たものは今でも大変役に立っていますので、それだけに同車両の存在が今まで運転をしてきた車両の中でも如何に大きなものであったかを、私は今でもしっかりと記憶をしています。

 

 

そのくらいにこのカローラの存在といったものは大きなものでしたので、その性能の良さから得たものは本当に大きかったと言えます。その事を忘れずに、現在事業主としての仕事の傍らで運転をしているミラLを、これからは大事に運転をしながら使用していきたいと考えています。

 

 

カローラに最後に乗ったのは、確かに今から約20年以上も昔になりますが、この車両を運転をして得たものは非常に大きかったと私は今、回想をしています。

 

 

 

 

 

 

(10)買い換え時での、もの寂しい当時の思い

今まで話してきたように、この運転をしていたかつてのカローラの存在は、やはり大きなものであったと現在も、私は確信をしています。

AT式の普通乗用車の車両であった故に、それだけに他社製やその他の型式の車両では決して味わえない仕様の良さや、あるいは運転時においての技術修得やトレーニングが可能である点で、この車両を通じて体得をしたものは実に多かったような感じがします。

 

そしてやはりその分、今まで何回も話してきたように、97年の11月下旬に買い換え時での両親の知人の方の整備工場でこの車両を引き渡した際には、とてももの寂しい思いをしましたので、それだけにこの車両の存在は間違いなく、購入をして使用してきた意味は大いにあります。

 

 

このカローラから今度はスズキ社製のジムニーの車種へとまた変わりますが、カローラに最初から装着をされていたカーラジカセや一部の部材を、今度はその車両本体へ装着をさせたりする事も可能でしたので、そうした面でもやはり、カローラに対しての思い入れは現在でも特に、私にはあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

最も運転期間が長かった、ジムニーHA(ハードトップ)の思い出

(11)97年11月下旬での、初めての新車購入

カローラ本体全体に寿命が来ていたせいもあって、私はこちらのスズキ社製のジムニーへ買い換えたような形になります。そして、前の段落末でも話したように、カーラジカセや一部の部材をこの車両へ装着をさせて受け継がせる事が出来たので、カローラの次に、この車両に対しての思い入れが私にはあります。

 

そして実は、このジムニーシリーズの車両そのものが、生まれて初めて新車で購入をした車でもあります。そのため、購入価格も約160万円台でしたので、ローンを組んだ支払い面では正直痛かった面もありますが、今度は今までのセダンタイプの各車両とは異なる乗り心地や、走行時での技術面での違い、独自のエンジンシステムなどといったものがあって、大変勉強になりました。

 

 

 

 

 

 

また、これは次の小節のところでも話しますが、何といってもこのジムニーの車両は今までのものとは異なり、4WDという馬力切り替え機能が付いている点が、とても特徴的でした。

 

 

 

 

 

 

(12)4WDという、生まれて初めてのエンジン仕様に触れる

その車輪やタイヤ本体の大きさから、4WDエンジン搭載という点で、この車両は冬場での凍結路面や砂利道などの走行時では、本当に活躍をしてくれました。
その分廃車時の際にはもう、タイヤ表面が予備用のものも入れて5輪ともボロボロの状態になっていましたが、それだけにカローラには劣らず、このジムニーHAも大いに活躍をしてくれていました。

 

 

この車両を買い、私は生まれて初めてこれで4WDエンジンを扱い、渡河走破や荒れ地走行、凍結した路面や雪道の走行などをしましたが、この機能が冬場での新聞配達時の際には大いに活躍をしてくれたりしました。

ただ、カローラなどとは異なり、ジムニーシリーズの中でも特にこのハードトップタイプは車高が一番高く、高速道路走行などが出来ないような仕様になっていましたので、この車両を運転していた約12年間は、一度も同車両での高速道路では運転をしていません。

 

 

その代わり、急な傾斜からなる坂道や、泥が深い道などでは大いに4WDエンジンへの切り替えなどで走行面での活躍をしてくれたりしました。そうした状況での運転時の技術なども身に着きましたので、購入をして運転を当時していた経験は、決して無駄ではありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

(13)凍結路面や荒れ地で頼りになった特性

これについてももう既に、ある程度触れてはいますが、本当に新聞配達時ではバイクに劣らず、このジムニーHAの車両は大いに活躍をしてくれました。

 

中でも一番私が記憶に残っているのは、まだ司法試験の受験勉強をしていた際にやっていた、新聞配達の仕事を辞めた2011年の1月に、大雪が降った際に行った配達時での様子です。
この日はいつも配達をされる担当者の方が車の性能上、雪道を走れないといった事情から、緊急時で私がジムニーで出て、4WDエンジンのまま配達を行ったといったものでした。

 

そして最後まで配達を最後まで無事に終えたといった経緯でしたが、この時こそが本当に、そのジムニーHA本来の性能の良さや特徴をよく体感をした時だと、私は今も確信をしています。

 

 

 

 

 

 

 

(14)約12年間の最長期での所有

平成6年式(1996年式)であり、ガソリン1Lあたりで約18kmも燃費がある仕様から、このジムニーHAを新車で購入したような形でしたが、やはり、4WDエンジンの機能を利用してみたい、などといった気持ちもありました。
そして、97年の11月下旬から2010年の2月までの約12年といった、今まで運転をしてきた車両の中でも、最長期の所有期間のものになります。

雪道や荒れ地、急な斜面の路上、浅い河川での走行を多くこの車両でやってきましたが、高速道路以外での中々普通の方が走りたがらない道の走行時においては、本当に活躍をしてくれた車両でもあります。そうした事情からも、このジムニーHAにはそれなりの思い入れがやはりあります。

 

 

また、通常の軽自動車とは異なり、この車両は法律上の軽トラックと同じ、軽貨物車に分類をされていて、軽トラの4WDタイプの車両の運転をしたりする際にはちょうど良い訓練にもなりました。

 

 

 

 

 

 

 

(15)スズキ社による技術革新を主な理由とした、同車両との別れ

そしてこの車両もやはり、先にも話したあのカローラの時と同じように、やはり別れが訪れました。
今回の場合にはカローラの廃車時とは異なり、製造メーカーであるスズキ社自体による技術革新の事情によって、ジムニーHA用のパーツや部材などを製造や生産が中止になって、そのため、購入元である整備工場の社長さんご本人から言われたのが主な廃車のきっかけでした。

 

タイヤ本体の従来型であるチューブ式のものからチューブレス式のものへの変換、へッドライトの電球のはめ込み式から電球ソケット式への変換、カーラジカセのIT機器類への変換、新ジムニー各車種での高速道路走行時での対応機能の設定その他、様々な技術革新が行われたりしている事実を、当時の社長さんから聞いて初めて知りました。

そうした事情から私はその時に時代の変化そのものを感じて、HA本体を社長さんへ引き渡してそのまま廃車にしていく事に決めました。

 

 

 

このジムニーHAでの引き渡し時でも寂しい思いがしましたが、今回の場合はまたカローラの時とは違う、技術革新といった事情からの仕方ない、いわゆる『諦め』の感が心理的にありました。これ以上所有をしていても車検自体が技術的にも無理なので、そうした事情での仕方無さからの気持ちでの寂しさでした。

 

 

 

 

そして2016年の12月半ばから、私は現在のダイハツ社製の中古車であるミラLを運転しているような状態ですが、今までの各種車両とは明かに異なる、開発技術面での進歩さや時代の推移をとても感じています。

 

 

 

 

 

 

 

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